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御由緒

天津神社は、第12代景行天皇の御代の創設にして第36代孝徳天皇の勅願所となっておりました。本殿は、寛政9年 (1797)に糸魚川の大工、相馬十郎左衛門昌信によって建立。寛文2年 (1662) 改築の拝殿(5間×7間)棟木にはそれらが記されています。尚幣殿 (3間×3間) が天明2年 (1782) に増築されています。

並んで祀る奴奈川神社は延喜式内社頸城十三座の一社であり、併せてこの地方の大社であったとされています。 社殿は寛政10年 (1798)に建てられています。もともと山崎の地(現京ヶ峰区)に鎮座していましたが、山崩れのためこの地に移し造営したと言われています。 この地方はかつて「沼川郷」と称され、奴奈川媛命が住んでいたとされる場所で、八千矛命が遠くの海を渡り、この地に上陸して媛と契りを結んだという歴史的な事実と、建御名方命が姫川の渓谷を辿り信濃路に進み、遠近を開拓し統治したとする伝説が生まれた地として知られています。これにより、この地は神代において国津神の威武を内外に発揮するための重要な拠点であったことがうかがえます。

御祭神

天津神社

◼︎天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)
◼︎天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
◼︎天太玉命 (あめのふとだまのみこと) 

瓊々杵尊は天孫降臨神話で高千穂に降臨した、天照大神の孫にあたる神様です。稲作をこの地上にもたらしたことから、農業・産業の神として知られ、「五穀豊穣」や「家内安全」の御神徳があると言われています。天児屋根命と天太玉命は、天孫降臨に際し瓊々杵尊に従った五伴緒神の内の二柱で、御本殿にともに祀られています。

奴奈川神社

◼︎奴奈川媛命(ぬながわひめのみこと)
◼︎八千矛命(やちほこのみこと)

この地方はかつて「沼川郷」と称され、奴奈川媛命が住んでいたとされる場所で、八千矛命が遠くの海を渡り、この地に上陸して媛と契りを結んだという歴史的な事実と、建御名方命が姫川の渓谷を辿り信濃路に進み、遠近を開拓し統治したとする伝説が生まれた地として知られています。これにより、この地は神代において国津神の威を内外に発揮するための重要な拠点であったことがうかがえます。

子聖社(摂末社)

◼︎子聖上人(ねのひじりしょうにん) 

天長9年(832)の子年の子月、子日の子刻に生まれたとされている子聖上人。「我登山のおり、魔火のため腰と足を痛め悩めることあり、故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん」といったことから、足腰守護・健康の神としても信仰されています。